
以下に池田先生の指導を引用する。
『池田大作全集』第73巻
(1990年1月18日<平成2年>第二十五回本部幹部会・561頁)
「『広宣流布』は単なる”スローガン”ではない。言葉として、いくら高くかかげても意味はない。具体的に一歩一歩、実現していかなければ、大聖人が開かれた無上の幸福の『大道』を後世へ広げていくことはできない。それではあまりに、大聖人に申しわけない。このことは戸田先生も、厳しくおっしゃっていた。」
以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。
戦いとは具体的に、「数値化」を意味する。
思えば、広宣流布の基盤を構築した「75万世帯」の折伏というのも、圧倒的な数値化だった。
数値化とは、成果だけを追うことではない。自分自身の挑戦を曖昧にせず、現実の中で責任を持って前進するための指標である。
企業であれば売上や利益がある。スポーツには得点や勝敗がある。学問には試験や研究成果がある。それと同様に、広宣流布にも具体的な目標と実践があるからこそ、組織は発展し、人材は育ち、時代を動かす力となる。
もし数値も目標もなく、「心こそ大切なれ」「祈っています」だけで終わるならば、それはいつしか自己満足に陥りやすい。だからこそ池田先生は、「具体的に一歩一歩、実現していかなければならない」と厳しく語られたのではないだろうか。
もちろん、数だけが目的ではない。一人一人を幸福にする真心が根本である。しかし、その真心を現実に表す姿が具体的な行動であり、その積み重ねを確認するものが数値なのである。
数値化とは、人を数字で見ることでは決してない。自らの使命に対する「責任」を数字によって可視化することであり、「今日も一歩前進した」と胸を張って師に報告できる生き方を築くための実践である。
戸田先生が「75万世帯」の弘教を掲げられたのも、夢物語ではなく、「広宣流布は必ず現実にできる」という確信の表れだった。その精神を受け継がれた池田先生も、常に具体的な目標を示し、一歩一歩の積み重ねによって世界広布を切り開いてこられた。
しかし、それでも注意すべきは、他者に「数字」を課すと、義務感となる恐れがある。
本来、数値化とは、自分自身との約束であり、自らの誓願を形にするためのものである。他人を評価したり、競わせたりするためのものではない。
広宣流布は、一人一人の自発の信心によって前進する。そのため、指導者に求められるのは、数字を振りかざすことではなく、一人一人が「自分も挑戦してみよう」と決意できるよう励まし、勇気を引き出すことである。
これが出来るのが人間主義の組織であり、逆に、数字で縛り、義務感を与えていくのが官僚主義の組織である。
だからこそ、数値化には慈悲がなければならない。慈悲を失った数字は人を苦しめる。しかし、慈悲に裏打ちされた目標は、人の可能性を開き、自らの限界を突破する力となる。
数値とは、冷たい管理の道具ではない。師弟の誓願を現実に変えるための羅針盤であり、自らの挑戦を映し出す鏡だ。その意味で、「具体的に一歩一歩、実現する」とは、誰かを歩かせることではなく、自分自身が率先して歩み続ける決意にほかならないと、私は受け止めている。