創価再創記 ージョーカー録ー

壊すのでも従うのでもない。創価の信仰を再創するための記録。

聖教独断日記29 人見知りについて

2026年9月25日付  聖教新聞5面「新 生き生き川柳」

                       岐阜市 佐藤徳広さん                                      

「人見知り 勇気を出して 顔見知り」

 

ここからは、私の独断と偏見による感想と解説。

 

私は人見知りではない。

誰とでも話しをすることはできるし、とくに困ることはない。

 

ただ、小学生の頃は、先生と話をするのが苦手だった。

中学生の頃は、中等部の担当者に迎えに来てもらい、車で会館までの車中の会話は苦手だった。

 

不思議と高校生になると、担当者との会話は苦にならなくなった。

そして今は、床屋での会話に、面倒臭さを感じてしまう。

 

その程度なのだから、人見知りとは言えないだろう。

 

それでも、大なり小なり、誰もが人見知りの部分はあるだろうし、苦手なこともある。

信心の活動も同じで、折伏苦手、新聞啓蒙苦手、家庭訪問苦手、選挙苦手、教学苦手、会合苦手、役員苦手等、あると思う。

 

ちなみに私は、「聖教啓蒙」と「財務」が苦手だ。

共通しているのは「お金」が発生すること。

 

財務に関しては、学会がお金に困っているのならやろうと思うが、どうもよくわからないのと、学会本部等のことなのに、現場のリーダーが推進しているのも引っかかる。

 

「真心の財務」――収支は関係なく、自分の真心でやればいいという考えかたが主流であろうが、私は「やかましい」と思ってしまう。

 

紙のない時に、紙を供養することには意味がある。

紙があふれている時に、紙を供養することに、どれほどの意味があろうか。

まあ、納得できなければやらないのが、私の現在の生き方である。