
2026年9月25日付 聖教新聞5面「新 生き生き川柳」
岐阜市 佐藤徳広さん
「人見知り 勇気を出して 顔見知り」
ここからは、私の独断と偏見による感想と解説。
私は人見知りではない。
誰とでも話しをすることはできるし、とくに困ることはない。
ただ、小学生の頃は、先生と話をするのが苦手だった。
中学生の頃は、中等部の担当者に迎えに来てもらい、車で会館までの車中の会話は苦手だった。
不思議と高校生になると、担当者との会話は苦にならなくなった。
そして今は、床屋での会話に、面倒臭さを感じてしまう。
その程度なのだから、人見知りとは言えないだろう。
それでも、大なり小なり、誰もが人見知りの部分はあるだろうし、苦手なこともある。
信心の活動も同じで、折伏苦手、新聞啓蒙苦手、家庭訪問苦手、選挙苦手、教学苦手、会合苦手、役員苦手等、あると思う。
ちなみに私は、「聖教啓蒙」と「財務」が苦手だ。
共通しているのは「お金」が発生すること。
財務に関しては、学会がお金に困っているのならやろうと思うが、どうもよくわからないのと、学会本部等のことなのに、現場のリーダーが推進しているのも引っかかる。
「真心の財務」――収支は関係なく、自分の真心でやればいいという考えかたが主流であろうが、私は「やかましい」と思ってしまう。
紙のない時に、紙を供養することには意味がある。
紙があふれている時に、紙を供養することに、どれほどの意味があろうか。
まあ、納得できなければやらないのが、私の現在の生き方である。