
創価学会における広宣流布とは、「学会員の幸福の土台」の上にしか成り立たない。
これが私の持論であり、「会員第一」を一歩踏み込み、具体化した言葉であると考える。
支援活動もまた、広宣流布の一側面であることは否定しない。
しかしそれは、学会員一人ひとりの生活・健康・家庭・仕事・心の安定が守られていることを前提として、初めて意味を持つものではないだろうか。
特に心の安定に着目すると
・本当のことが言える空気があるか
・短期決戦という名目で、心が置き去りにされていないか
心の安定とは、常に前向きでいることではない。
弱音を吐けること、立ち止まれること、そして「今は無理だ」と言っても関係性が壊れないことだ。
支援活動が、学会員の心を鍛える場ではなく、心を消耗させる場になっていないか。
「会員第一」が常にブレていないかを点検する必要がある。
つまるところ会員第一とは、会員の心を守る戦いだ。
それは、自分自身の心を守ることも含まれる。
あなたも私も、創価学会のかけがえのない会員であることを忘れてはならない。
無理を重ね、違和感を押し殺し、「頑張れていない自分」を責め続けることは、決して信心の深化ではない。
それは「犠牲」であり、広宣流布は、学会員の犠牲の上には決して成り立ちはしない。
だからこそ、自分を犠牲にしてはならないし、誰かを犠牲にしてもならない。
支援活動は、誰かの人生をすり減らす行為であってはならない。
むしろ、学会員一人ひとりが「自分の人生を大切にしていい」と確認し合う場であるべきだ。
会員の幸福が守られているか。
心が壊れていないか。
声なき違和感が、置き去りにされていないか。
それらを問い続けること自体が、すでに広宣流布の営みなのだと思う。