
先日、選挙公報紙が届いたので、それを一緒に見ながら、地区の若いメンバーと懇談をしてみた。
「正直、投票したいという気持ちが湧いてこないですね」
これが、10代、20代の若い人の生の声だ。
そもそも、政治家に良いイメージを持っている人は、ほとんどいないと思う。
日本はとことん、政治への信頼を裏切り、人々の期待を足蹴にしてきた国だ。
不祥事、責任逃れ、言葉だけの改革。
誰のための政治なのか分からないまま、時間だけが過ぎてきた。
若い世代ほど、「どうせ変わらない」という学習を早く終えてしまっている。
一方で、政治が自分たちの生活と無関係かといえば、決してそんなことはない。
学費、奨学金、働き方、物価、子育て、介護。
むしろ直撃しているのは、これからを生きる若い世代のほうだ。
それでも心が動かないのはなぜか。
それは「誰がやっても同じ」に見えてしまうからだ。
理念も、覚悟も、顔も、違いが伝わってこない。
今、大事なことは、この冷めた感覚を否定せず、言葉にしてもらうこと。
政治が信頼を失ってきた歴史を、ちゃんと共有することだ。
冷めたものに、熱量高めのものをかけてしまうとたいていは逆効果になる。
「行かなきゃダメだ」「無関心はよくない」と正論をぶつければぶつけるほど、心はさらに離れていく。
今回の懇談で意識したのは、動かそうとしないことだった。
まずは「そう感じるに至った理由」を、こちらが聞く側に回って受け止める。
政治に失望してきた経験そのものが、すでに一つの現実だからだ。
政治に背を向ける若者を責める前に、関心を持ちたくなる政治をつくれてこなかった大人の側の責任を、正面から引き受ける必要がある。
信頼を壊したのは誰か。
無関心を生んだのは誰か。
そこを曖昧にしたまま、「参加しろ」だけを求めるのは、あまりに都合がいい。
信頼は、一気に回復するものではない。
だからこそ、節目のたびに熱を上げるのではなく、日常の対話の中で、少しずつ政治を“自分の言葉で語れるもの”に戻していくしかない。
政治を民衆の手に取り戻す—
若い世代の沈黙は、拒絶ではない。
「本気を見せてほしい」という、極めてまっとうな要求である。
その声から目を背けないこと。
そこから始める以外に、政治が再び民衆のものになる道はない。
※本稿は、選挙運動や投票行動を呼びかける意図はなく、日常の対話から見えた政治への感覚を整理したものである。