
以下に池田先生の指導を引用する。
『池田大作全集』第73巻
(1989年9月6日<平成元年>第八回全国婦人部幹部会・150頁)
「ひとたび心に権力や財力の甘い蜜を染みこませてしまえば、もはやその魔力から脱することはむずかしい。堕落と保身への汚染が生命をむしばむ。よどんだ川のゴミがたまるように、保守の弱さに『魔』や『鬼』がつけこみ、巣をつくってしまう。そうであってはならない。」
以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。
本来、権力や財力は悪いものではない。むしろ、正義の人や善人が権力や財力を握れば、大きな価値を生み出すことも可能である。
だが一方で、権力や財力には魔性が具わっているので、とらわれ、魅入られてしまえば、正義が悪となり、善も破壊されていく。
広宣流布推進においては、権力・財力はむしろ邪魔ですらある。
魔は天界に住むゆえに、こうしたものは信心を狂わせる要素が多く、危険だ。
逆境よりも実に「喜び」こそが信心を腐らせていくから、注意が必要だ。
組織がどれだけ大きくなっても、社会に影響力を持とうが、「一人を救う」「一人を仏にする」戦いが、広宣流布の実践だ。
それは、無名の庶民による戦いであり、権力・財力などに頼るものでは断じてない。
広宣流布とは、無名の庶民が、自らの宿命と戦いながら、他者の幸福のために立ち上がる壮大な人間革命の運動である。その原動力は、肩書でも財力でもなく、「南無妙法蓮華経」と唱え抜く信心と、師弟の誓願である。
また、権力や財力に頼らないからこそ、この運動は純粋であり、強い。何も持たない庶民の祈りと行動が、最終的には社会を根本から変革していく。そこに仏法の偉大さがある。
結局のところ、広宣流布の成否を決するのは、「どれほどの力を持っているか」ではなく、「どれほど一人を大切にできるか」である。
無名の一人が、一人のために祈り、励まし、立ち上がる――その尊き実践の連続こそが、広宣流布の永遠にして不変の大道であると深く確信する。