
以下に池田先生の指導を引用する。
『池田大作全集』第73巻
(1989年10月24 日<平成元年>第二十二回本部幹部会・334 頁)
「ともあれ、”いつか広布の時がくるだろう”と、時を待つ臆病の人であってはならない。『時』はつくらなければならない。『時』はみずからつくるものである。時代の『変化』に応じ、『変化』についていくだけでは足りない。時代に負けないで、時代の新しき『変化』をつくりだしていく。この人こそ広布の大人材であると、私は申し上げたい。(拍手)」
以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。
何事であれ、「いつか」はやって来ない。
いかなる分野においても、何かしらのアクションを起こした時に、チャンスはやってくる。
況や、随自意の仏法なので、随他意的な、「待ち」の姿勢では、広宣流布の途は一向に開かれることはない。
打って出る生命力、不屈の勇気を湧現させるために、唱題行はある。
変化とは、大きなことをすることではない。
自分なりの小さな一歩こそが重要であり、そこからすべては始まる。
その上で、時代に順応していくだけではなく、さらに一歩先んじるだけの創造性が求められる。価値創造を冠した創価学会ならば、なおさらだ。
だからといって、奇抜なことをすることではない。
仏法の原点は、あくまでも一人を大切にする対話であり、目の前の人の幸福を真剣に祈り、励ましていく実践にある。その本質は時代が変わっても変わらない。
しかし、その不変の精神を現代社会の中でどう表現し、どう伝えていくのか。その方法については、常に智慧を働かせ、挑戦し続けなければならない。
「こうしてきたから」「昔からこうだから」という発想だけでは、新しい価値は生まれない。伝統を守ることと、旧来の形式に固執することは全く別である。
そして個人的に大事だと思うことは、新しい発想に対し、安易に邪魔をしないことだ。
これは、経験があればあるほど、勝利してきた人ほど、陥り易いところだ。
とくに青年が真剣に考え、導き出した答えに対し、上から目線でつぶすようなことがあってはならない。
最大限尊重し、守っていく、協力していく姿勢が大事ではないだろうか。
また、新しい時代を切り開くには、時間も労力もかかり、理解も得られないかもしれない。
むしろ、最初から歓迎されることのほうが少ないだろう。前例のない挑戦であればあるほど、反対や批判、無関心に直面することもある。
しかし、だからこそ先駆者には勇気が必要なのである。
歴史を振り返っても、新しい価値を創造した人々は、常に孤独や困難と戦いながら道を切り開いてきた。その挑戦があったからこそ、後に多くの人が恩恵を受けることができた。
広宣流布もまた同じである。誰かがつくった道を歩くだけではなく、自らが新たな道を切り開く覚悟が求められる。
もちろん、その根本にあるのは名聞名利ではない。自分が評価されたいからでも、自分の考えを認めさせたいからでもない。
すべては人々の幸福のためであり、広宣流布前進のためである。
その一念があるならば、たとえすぐに結果が出なくとも、その挑戦に無駄はない。むしろ、その苦闘そのものが未来を開く土台となる。
「時をつくる」とは、特別な立場の人だけに求められることではない。
一人ひとりが、自らの持ち場で、自らの使命の舞台で、「今、自分にできることは何か」を考え、行動を起こしていく。その連帯の中から、新しい時代は生まれていくのだと思う。