
以下に池田先生の指導を引用する。
『池田大作全集』第70巻
(1988年1月20日<昭和63年>第一回本部幹部会・68頁)
「人の心は変わる。自分の心もあてにならない。どんなに古くからの幹部であっても、信心を失ったとたん、堕落の道は始まっている。
そうならないためには、厳しく直言してくれる人をもつことである。いな、そういう人をみずから求めていくことである。」
以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。
多様性の時代では、「みんな違ってみんないい」という、寛容な姿勢は大いに歓迎される。その一方で、「厳しい直言」を避ける傾向、雰囲気はないだろうか。
寛容の社会は、個人としては生きやすくはなるが、同時に、成長という観点からみると、厳しい直言にさらされたほうが、伸びる可能性があるように思う。
厳しい直言とは、「本当のことを言う」ことだ。
それを受け止められない人には、人は本当のことは話さない。
創価学会の組織では、「学会活動していること自体が尊い」「会合に参加してくれてありがとう」「題目三唱だけでもすごい」等、褒める言葉が沢山あふれている。
もともと法華経というのは、褒める法門だからだ。
それはそれとして、自身のさらなる成長を欲するならば、褒められる世界に安住しない方がいい。
褒められることに慣れすぎると、人はいつの間にか「評価される側」にとどまり、「鍛えられる側」であることを忘れてしまう。
そこにあるのは安心であって、前進ではない。
逆に言うと、人は、本当のことを言ってくれる人を求め始めた時に、成長していくものなのかもしれない。
また、組織が変わる時も同様で、人々の「本音」と向き合うことが、発展の因となる。
厳しい直言は、いつも優しい形で届くとは限らない。時には不快で、腹が立ち、納得できないこともある。だが、その言葉を「反発」で終わらせるか、「内省」につなげるかで、その後の人生に大きく影響を与える。
厳しい直言、本当の話、本音を受け止め、求める自分であるか。
それとも、褒められる世界に安住するか。
その選択は、いつも自分自身に委ねられている。