
以下に池田先生の指導を引用する。
『池田大作全集』第71巻
(1988年6月12日<昭和63年>第一回神奈川県支部長会・127頁)
「『法』のため、『広布』のために、辛労をつくしきった人こそ、不退の勇者となる。反対に、いかに表面は活躍しているように見えても、何かあると驚いたり、労苦を避けて通っている人は、いざというときに退転していく。これは、今も変わらぬ厳しき信心の方程式である。」
以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。
広宣流布を一歩でも進める信心は、辛労を伴う。
的確な一手、行動、頭脳はフル回転だ。
組織においても、広宣流布を妨げているものを削っていく必要がある。
ここを手を抜いたり、会員の信心に甘え、労苦を避けていると、待っているのは衰退だ。
組織の問題というのは、必ず誰かしらがメッセージを発している。
言葉であったり態度であったり様々だが、見てみないふりをしている人も多い。
声を聴く、声なき声を聴く力が問われている。
しかし、その声を真正面から受け止めることは、決して楽なことではない。
時には、自分自身の至らなさや、組織の課題を突きつけられることもあるからだ。
だからこそ、人は無意識のうちに、それを遠ざけようとする。
労苦を避け、波風を立てないことを選びたくなる。
だが、その姿勢こそが、広宣流布の前進を止めてしまう。
目の前の一人の声に向き合い、問題から逃げず、必要な手を打ち続ける。
その地道で、時に孤独な格闘を貫いた人こそが、「不退の勇者」になっていくのではないだろうか。
会員が人知れず悩んでいることに目を向けるのか、それとも背けるのか。
背けてしまえば、広宣流布推進の土台そのものにヒビが入るのだ。
その自覚があってこそ、広宣流布を一歩進める戦いができるのではないだろうか。
一人の声に耳を傾けること。
問題から目を背けないこと。
必要な手を打ち続けること。
それは決して楽な道ではない。
しかし、その労苦を避けないところにこそ、本来の仏道修行があるのだろう。
表面的な活動ならいくらでもできるが、実質的な広宣流布の活動は難しい。
活動しているかどうかではなく、広宣流布が一ミリでも進んでいるかどうかを問い続けたい。
その一ミリの前進は、声なき声に耳を傾ける勇気を持つ人間によって、静かに生まれていくのだと思う。