創価再創記 ージョーカー録ー

壊すのでも従うのでもない。創価の信仰を再創するための記録。

組織・幹部に厳しい指導シリーズ85 みずみずしい求道心を失うな

以下に池田先生の指導を引用する。

池田大作全集』第71巻

(1988年6月21日<昭和63年>第六回本部幹部会・193頁)

「”自分のほうが信心歴が古い””役職が違う”とか”立場が上である”といった考えにおちいるならば、そこにはもはや、みずみずしい求道心はない。これは、今までの退転者や反逆者に多く共通した姿だった。」

 

以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。

 

信心の年数や役職にこだわり始めたら危ない。

人は求道心を失うと、外面的な要素で信心を量るようになっていく。

組織で活動を長くすればするほど、所謂「組織信心」に毒される可能性が増し、それ自体が魔であることに気づかなくなる。

 

だからこそ常に、自分自身の信心の原点に立ち返ることが大切となる。

何のために信心しているか明確になっているか。

それが言語化できているか。

 

魔は曖昧さに付け込んでくる。

故に私の魔との闘争は、「徹底的な言語化」にある。

言語化できてはじめて、自分自身で「考えたこと」になる。

 

私は、10代の時が一番折伏に挑戦していた。

しかも純粋な気持ちで、心から折伏したいという一念だった。

だが、役職があがればあがるほど、組織の「戦い」という枠で、折伏を推進している自分に気づいた。

 

歓喜の折伏から成果の折伏へと陥る危険性というものを、肌身で感じることができた。

組織は諸刃の剣だ。信心の原点を忘れ、組織信心へと転落していくことは、中々自覚することはできない。

 

組織は本来、広宣流布という大目的を実現するための尊い器である。
しかし、その器に自分の心が支配されてしまったとき、手段が目的化し、信心の本質は見えにくくなる。

 

役職は使命であって、決して優劣や権威を示すものではない。
また、活動の成果も、本来は功徳や成長の「結果」であって、追い求めるべき「目的」ではない。

 

だからこそ私は、折伏においても活動においても、「この人に本当に幸せになってほしいのか」という一点に立ち返り続けなければならないと感じている。

 

10代の頃の自分は、知識も経験も乏しかったが、ただ純粋に、仏法のすばらしさを伝えたいという情熱だけはあった。

今振り返ると、その拙いほどの真剣さこそが、最も尊い信心の姿だったのかもしれない。

 

信心歴も、活動体験も、教学もまだまだ足りなかった10代の自分から、学ぶことが沢山ある。

若いから、経験がないからと侮ってはならない。

純粋な信心に敵うものなど何もない。

 

だから私は、年齢や役職、立場で人を見ない。

ただただ、純粋な信心の人を尊敬する。

そして、10代のあの頃の「純粋な信」に立ちかえるため、今日も進みゆく。