
以下に池田先生の指導を引用する。
『池田大作全集』第69巻
(1987年11月2日<昭和62年>「創価班」「長城会」第二回合同総会・405頁)
「人を集めるだけでは意味がない。一つの目的に向かって、その力を価値的に用いていかねば、時代は動かせない。」
以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。
人を集めるだけでは、管理でしかない。
会合のための会合、幹部が安心するためだけの集まりは反価値だ。
これと同じく、目的の曖昧な報告、無意味な数合わせ等も同様だ。
ゆえに、信仰の世界において、「集めること」自体を目的とした時点で、すでに敗北である。人を集めるだけの会合は、信心ではない。それは本来、仏法が最も嫌う形式主義にほかならない。
それでは、一人ひとりの力を、価値的に引き出すにはどうすればいいか。
人は、命令では動かない。
数でも、空気でも、肩書きでも動かない。
自ら意味を見いだしたときにのみ、生命は動く。
指導する側が
「何のための信心か」
「戦いの目的は何か」
これらを自分の言葉で言語化できているか。
つまり、「当事者」として立っているかどうかが問われる。
信仰とは、本来、他人に預けられるものではない。
ましてや、組織や役職に委ねるものでもない。
一人ひとりが、自分の人生の主人公として立ったとき、初めて、力は価値に転じる。
集める信仰か。
立ち上がらせる信仰か。
日蓮仏法は自分を変革する宗教だ。
であるならば、自分自身が立っているかどうか。
それがすべての始まりなのだ。