創価再創記 ージョーカー録ー

壊すのでも従うのでもない。創価の信仰を再創するための記録。

組織・幹部に厳しい指導シリーズ㊹ 戦うべきは、エリート意識の指導者

以下に池田先生の指導を引用する。

池田大作全集』第69巻

(1987年11月2日<昭和62年>「創価班」「長城会」第二回合同総会・401頁)

「エリート意識で民衆を見くだす指導者ほど、嫌悪すべき存在はない。私どもは断固、そうした傲慢な指導者と戦っていかねばならない。」

 

以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。

 

役職があがればあがるほど、エリート意識との戦いと言える。

特に若くして、高い役職に就いてしまうと、現場の苦労がわからなくなってしまう傾向にある。

あくまでも、草創や先達の、血と汗と涙でつくってきたのが創価学会であり、その土台の上での戦いであることを忘れまい。

 

私も、ある一定以上の役職に就いていたので、エリート意識に陥りがちな思考回路について想像ができるし、実際に陥っていた時期もあるかもしれない。

 

だからこそ断言できる。
エリート意識は、特別な悪人が持つものではない。
「自分は分かっている」「自分は正しい側だ」という思考が、無自覚のうちに人を傲慢にする。

 

傲慢は、自分では気づくことが難しい。

故に良き師・良き先輩・良き同志という善知識が必要なのだ。

 

具体的な、エリート意識からの脱却思考

・役職を外した自分に、何が残るかを問い続ける

・若さや有能さを、正しさの根拠にしない

・現場に行かなくなったら、危険信号だと自覚する

・勤行・唱題の中で、「人を下に見ていないか」を具体的に点検する

・「学会のため」「広宣流布のため」という言葉が、自己正当化になっていないか疑う

・役職を外されても、無名の一会員として戦えるかを自問する

 

仏法とは、常に自分自身の傲慢・慢心との戦いである。

広宣流布に、エリート意識の指導者、幹部、リーダーは必要ない。

むしろ、害悪にすらなり得てしまう。

 

だから私は、役職ではなく一念で、評価ではなく行動で、民衆の側に立ち続ける信仰者でありたい。