
以下に池田先生の指導を引用する。
『池田大作全集』第71巻
(1988年5月22日<昭和63年>第五回本部幹部会・36頁)
「同志の『誠実』には、『誠実』で応えるしかない。『真心』には、『真心』で応えていく以外にない。広布の同志というものは、美しい『心』と『心』で結ばれた”家族”のようなものであると私は思う。そこには、利害もなければ、権威もない。清らかな信頼と尊敬があるのみである。」
以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。
仏法者においての「誠実」「真心」というのは、どれだけ相手のことを祈っているかに尽きると思う。
祈りを根底にしてこそ、仏法者の所以であるからだ。
だからこそ私は、縁した人には日々、題目を送っている。
それが、自分に出来る「誠意」だと思っている。
祈りは目に見えないし、相手にはわからないかもしれない。
また、会ったことがなければ、実感が湧かないこともあるだろう。
だが、そんなことは関係がない。
大事なことは、自分の「真心」がそこにあるか否かだ。
誠実とは特別なことではなく、「祈り続けること」そのものではないかと感じる。
たとえ相手に伝わらなくても、祈りは必ず生命に通じていくと信じること。
仏法者の真心とは、人知れずとも相手の幸福を願い続ける姿にある。
広布の同志とは、ただ顔を合わせる関係ではなく、祈りで結ばれた存在であると思う。
だからこそ、会えなくても、離れていても、祈りを送り続けることができる。
その積み重ねが、やがて信頼となり、絆となり、広布の力になっていく。
生命の繋がりは距離ではないし、会う会わないでもない。
池田先生は牧口先生に一度も会われたことがない。
それでも牧口先生を宣揚し、創価の師弟の偉大さを証明された。
私も、池田先生とは、会合では何度かお会いしたが、直接話をしたことはない。
個人的に認めて戴いた「和歌」を大事にしながら、広布のために出来ることを模索している。
そこに、池田先生の「誠実」「真心」が厳然と存在していて、私の中で、消えることはない。
創価の師弟は、生命の深い次元でつながっている。
同志もまた然りである。