創価再創記 ージョーカー録ー

壊すのでも従うのでもない。創価の信仰を再創するための記録。

組織・幹部に厳しい指導シリーズ88 恩を忘れない

以下に池田先生の指導を引用する。

池田大作全集』第71巻

(1988年6月26日<昭和63年>『7・3』記念各部合同総会・224頁)

「私は創価学会に最大の恩がある。戸田先生のもとに馳せ参じて共に戦い、ここまでにしていただいた。その大恩は決して忘れることはできない。生涯、いな永遠に、学会につくしていきたい。それが私の、不動の精神であり、人生の道と思っている。」

 

以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。

 

個人的には、恩を感じることは難しいことであると思う。

正確には、「恩を感じ続ける」ことが難しい。

それが私の、正直な思いだ。

 

現代は、便利で当たり前、快適で当たり前、個が尊重されて当たり前の世の中だ。

当たり前の基準が高いと、それとは裏腹に、「恩」を感じにくくなるのではないか。

だからこそ、必ずしも、環境が恵まれていることがいいとは限らない。

 

創価学会においても、我々世代やこれからの世代も、大きくなった学会しか知らない。

わずか100年にも満たない間に、考えられないほどの発展を遂げたのが創価学会だ。

 

それは、決して当たり前の話ではない。

まぎれもなく、名もなき庶民たちの、血と汗と涙で築かれた民衆城だ。

 

しかし、その「血と汗と涙」を、実感として知る機会は、正直ほとんどない。

気がつけば、すでに整えられた環境の中にいて、守られた状態から信仰を見ている自分がいる。

だからこそ、「恩」というものが、どこか観念的になりやすいのではないかと思う。

 

本来、恩とは、理屈で理解するものではなく、体験を通して、胸の奥から込み上げてくるものだろう。

苦闘の中で支えられたとき、どん底で手を差し伸べられたとき、人は初めて「恩」を知る。逆に言えば、苦労や葛藤を避け続ける限り、本当の意味での「恩」は、つかめないのかもしれない。

 

池田先生の言葉は、その極致だと感じる。

戸田先生と共に戦い抜いた、あの激動の時代。

命を削るような闘争の中で築かれた師弟の絆。

その体験があるからこそ、「生涯、いな永遠に」という言葉に、揺るぎない重みがあるのだと思う。

 

では、自分はどうか。

同じ時代を生きていない以上、同じ実感を持つことはできない。

しかし、「恩を感じられない」と嘆くのではなく、「恩を感じられる自分になる努力」をしていくことはできるはずだ。

 

日々の中で、どれだけ守られているか。

どれだけ支えられているか。

どれだけ見えないところで、多くの人が尽くしてくれているか。

それに気づこうとする姿勢こそが、「恩」を感じる心を育む第一歩なのだと思う。

 

だから私は題目の中で、「恩」と向き合う。

一日を、御本尊に巡り合えたことへの感謝と恩の祈りから始める。

それが私の、恩を感じられる自分になるための、大切な一歩だ。