
以下に池田先生の指導を引用する。
『池田大作全集』第71巻
(1988年9月17日<昭和63年>第九回本部幹部会・441頁)
「たとえ小規模なものであったとしても、それを淵源として将来必ず大きく発展しゆくことを私は確信している。”小さなこと”を軽んじて広布の伸展はない。将来を期して”小さなこと”に徹することこそ、偉大なのである。」
以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。
大事をなすには、小さなことを積み重ねる以外に方法はない。
積み重ねの結果が、やがて、ティッピングポイントに到達し、大きなひろがりとなる。
これが鉄則だ。
しかも、いつかゴールに達するのではなく、小さな積み重ねの一つ一つが完成であり、言わば「完成の積み重ね」ということだ。
私の記事も、毎日投稿しているが、どれもが「完成品」として世に送り出している。
もちろん、完成と完璧は違う。
日々の継続に完璧さなど必要ない。
限られた時間の中で、自分のベストを出す。
それが、私にとっての完成だ。
さらに言えば、この「小さな完成の積み重ね」は、単なる作業の継続ではなく、自分自身の生命を鍛え、深めていく営みでもある。
一つ一つは目立たない。
誰に評価されるわけでもない。
時には「こんなことに意味があるのか」と思うことすらある。
しかし、その、誰も見ていない一歩一歩こそが、自分の土台をつくる。
だからこそ、今日の一歩を、雑にしない。
目の前の一つを、軽く扱わない。
どんなに小さくても、そこに魂を込める。
その積み重ねの先にしか、本当の広がりはない。
信仰や生活の面においても
・広宣流布を1ミリでも進める覇気はあるか
・勤行唱題を疎かにしていないか
・教学の研鑽を怠っていないか
・他者への祈りはあるか
・教養を深めようとしているか
・地に足の着いた生活をしているか
自分の一念や生活は小規模だ。
だが、小さいからといって、軽いわけではない。
見えないからといって、影響がないわけでもない。
むしろ、見えないところで、どれだけ誠実に積み重ねられるか。
誰も評価しないところで、どれだけ自分を律せられるか。
そこにこそ、本当の実力が現れる。
日々の勤行も、唱題も、学びも、生活も、一つ一つは小さな行為に見える。
しかし、そのすべてが「生命の方向性」を決めている。
広宣流布も、人生の勝利も、特別な何かで成し遂げられるものではない。
誰にでもできる、小さな一歩を、誰にも真似できないほど積み重ねた人が、切り開いていくものだ。
そしてその歩みは、今日この一歩から、すでに始まっているのだと思う。