
以下に池田先生の指導を引用する。
『池田大作全集』第70巻
(1988年4月24日<昭和63年>第三千葉県記念幹部会・484頁)
「指導者は、わざわざ人を集めたり、大勢の人の前で立派なことを指導してみせたりするのが本務ではない。むしろ誰も知らない陰の陰で、人々のために心をくだき、身を粉にしてこそ本物の指導者である。」
以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。
人が集まれば一体感が増し、進んでいるように感じる。
立派な指導や弁舌は、そこに血が通わなければ、ただの言葉に過ぎなくなる。
これらは指導者の自己満足でしかなく、組織を停滞させる元となる。
だからこそ人を集めるには覚悟が必要となる。
惰性の会合ならば、やらないほうがましなのかもしれない。
学会の指導者は、表に見える「活動量」ではなく、見えないところでどれだけ人を支えているかによって決まる。
会合に来られない人のことを思う。
声を出せない人の話を聞く。
悩んでいる人のために時間を使う。
そうした一つ一つは、記録にも残らず、評価もされにくい。
しかし本当は、そこにこそ組織の生命線がある。
見える仕事は容易いが、必要な仕事は労力がいる。
形だけの指導者か、心ある指導者か。
ここが問われるのだ。
人前で語ることはできても、陰で支える努力を怠っていないか。
忙しさを理由にして、一人のために動くことを後回しにしていないか。
指導者という立場に立つほど、自分を正当化する理由はいくらでも見つかる。
しかし本来の基準は単純なのだと思う。
目立ったかどうかではなく、誰かを支えたかどうか。
称賛されたかどうかではなく、人の苦しみに寄り添えたかどうか。
それだけが、指導者の価値を決めるのではないだろうか。
人に知られなくてもよい。
評価されなくてもよい。
ただ一人のために動ける人間でありたい。
その積み重ねのなかにこそ、本当の広宣流布の前進があるのだと信じている。