
以下に池田先生の指導を引用する。
『池田大作全集』第70巻
(1988年5月8日<昭和63年>朝霞圏幹部会・592頁)
「はじめに『人』があった。慈愛と確信に満ちた大いなる人格と、その人を慕う人々との一対一の交流があった。これが仏法の出発点である。最初から、教えの内容を皆が必ずしも理解していたわけではない。また組織も、人々が多く集まった結果として、自然な必要性のなかから発生していったものである。」
以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。
はじめに人がいて、そこから自然発生的に組織が生まれた。
組織ありきではないところがポイントだ。
私は常に考えていることがある。
それは、もしも創価学会がなくて、正しい仏法を知っているのが自分だけだったらどうするかということ。
組織があるから語るのか。
組織があるから行動するのか。
そうではなく、一人でも語り、一人でも励まし、一人でも祈る人間なのか否か。
「法を弘める人間は、自分しかいない」
ここに立脚してこそ、「一人立つ信心」というものが見えてくる。
広宣流布の道とは、「みんなでがんばろうぜ」ではない。
一人立つ人間同士の集まりであり団結である。
「自分がやるしかない」という覚悟に立ったとき、はじめて一人の生命が動き出す。
そして、その一人の行動に呼応して、また一人が立ち上がる。
その連鎖こそが、広宣流布の実体といえる。
そしてその連鎖が続く限り、広宣流布の流れが途絶えることは絶対にない。
組織が整い発展すればするほど、「一人立つ精神」は失われやすくなる。
ここに守成の時代の難しさがある。
だからこそ私は想像する。
自分しかいなかったらどうするかを。
もしも組織がなくても動ける人間であるならば、組織の中ではなおさら価値ある働きができるはずだ。
どれほど時代が変わろうとも、どれほど組織が発展しようとも、すべては一人の人間から始まる。
その原点を忘れず、「自分が最初の一人である」との決意で歩み続けていきたい。